俺が株取引を始めたきっかけは『株トレーダー瞬』なのだが、もっとすごい株のゲームがある
ニンテンドーDSの『株トレーダー瞬』というゲームは、割と有名なので知っている人も多いと思うが、実をいうと、もっとずっと前から、株式投資シミュレーションゲームというのは存在してて、その中でも、ギャグ度が高く、いろいろとぶっ飛んでいて面白いゲームがある。なんとファミコンのソフトなのだが、『松本亨の株式必勝学』というゲームだ。
30年以上前に発売されたゲームなのだが、内容がけっこう凝ってて面白いのだ。
まず、パラメータがやたらと多い。体力(HP)、家庭力(LP)、知力(IP)、運(DP)とさらにバイオリズム(BR)というのがあって、これによってパラメータの増減が変わる。
株の売買だけでなく、家庭生活をうまく営んでいく人生ゲームのような仕様になっており、株取引を軸にしてはいるが、実は他の要素のほうが難しくゲームクリアへの難易度は結構高い。
バブル期に作られたゲームなので、基本的にほぼ全ての銘柄は買えばガンガン上がるという感じになってて、株取引自体の難度はそれほどでもない。だが前述したように、
このゲームは家庭生活でのトラブル対応などをうまく切り抜けながら株でも利益を出していくという妙にリアルで、細かい設定が、非常に深く作りこまれていて面白い。
主人公には、妻と子供(なぜかオッサン顔)がいて、サラリーマンとして会社務めをしながら株の売買をしつつ(他にも中国ファンドや外貨預金や投信など多岐にわたる)資産を増やしていくのだが、家庭サービスをないがしろにしていると、妻が不機嫌になってヒステリーを起こしたり、実家に帰ってしまったり、さらに放置すると離婚してしまう。それで終わりとならず離婚後は裁判の手続きや慰謝料の支払いを済ませるなどリアル度が高い。
子供にも「よいこ」パラメータがあって、これが最低になると家出して不良化する。
ほっとくと犯罪などするので、更正させないといけないのだが、その更生施設がなんと
戸塚ヨットスクール。 笑える・・。
あと、主人公の運(DP)パラメータを回復させるために行くのが、たんばのやかた。
『死は怖くない』と書かれた標語をバックにヨガのポーズをした丹波哲郎と
ともに、瞑想することでDPを全回復させることができる。
妻と子供のご機嫌を取るために、へつらったり、殴ったりしながらパラメータをうまいこと調整していく。
さらに自分や家族が病気になったり事故にあったりしたら、病院へ連れていかないといけなかったり、そのために医療保険があったり、あと家が火事にあってしまったり、泥棒に入られたり、さまざまなイベント、ハプニングが満載なのだ。
そのほか、知力(IP)を回復させるためのアイテムがLSDだったり、愛人を囲ってマンションに住まわせたりできる大人のダーティな世界観を楽しめる仕様となっている(一応、ファミコンのゲームなんだが・・)。
ただ、街に出て、目的の場所に行くために、コマンドを選択しただけでは行けなくて
無駄に3Dダンジョン風に作られたわかりにくいマップ移動するシステムだけは頂けない・・歩くだけで体力が減っていくし、間違ってヤクザの家に入ると物を盗られたりするので、正直、イライラしかしない。
念力を使ってローソクの炎を激しく動かす動画を公開したぞ
俺は以前から超能力を使った動画をyoutubeなどにアップしていたが、どうせ手品だトリックだとイチャモンばかりつけられるので、頭にきて全部、公開後に消してしまっていたんだが、ここまで俺のブログを読んできた賢明な皆さんなら、わざわざ地味な手品を
見せるような真似は俺はしないだろう、と思ってくれると思うので、割と初心者でもできるローソクの炎を念力でめっちゃ激しく揺らす動画を公開してみた。
スプーン曲げとかも、たぶんできるだろうけど、固形物を動かすレベルとなるとかなりの時間がかかる。なので超能力入門者は炎などの無形プラズマ体から動かすことから始めるのが推奨される。
これを手品だとか、あるいは自然現象だとか、イチャモンをつけようと思えばいくらでもつけられる。これが手品ではないことを証明する術はない。
要するに俺を信じるか信じないかという問題だ。
たとえば、あなたの親しい友人が、あなたがお金に困ってるときに、ほら1万円貸してやるよ、と差し出してきて、「偽札だろ、これ」と突き返すか?
本物のお札か、本物そっくりの偽札か、あなたは判断する術はないのに(あなたが偽札鑑定士なら別だが)そんなことはいちいち疑ったりしないだろう。
それと全く同じことなんですよ。もし、この動画を見ても、これが手品だ、トリックがあるんだというなら、それは超能力を信じていないという以前に俺を信じていないということ。
俺がブログで今までさんざん話してきたことは何だったんだという話になる。
単なる妄想か?それとも人をだますための布石か?
世の中には、人をだますために全力を尽くす人間もいる。情報商材の世界なんかはまさにそれで、気が遠くなるほど長い長いセールスレターが、全部、人をだまくらかすためだけに書かれた文章だったりするわけですよ。人だますことに全エネルギーを注いでいるんです、尊敬はしないですけど、すごいですよね。ものすごく間違った方向に努力してますよね。
メルマガアフィリエイトとかも、最近は小賢しいのが多くて、ラポール(信頼関係)を形成してからだますという 心理学を応用した技も散見されます。
心理学を駆使して人をだます、ってのがもうなんか気持ち悪いですよね。
まあ心理学は俺もいくらか勉強してるので、察知出来ちゃいますけどね。
そもそも超能力は、実は心理学の一分野ですから。意外ですよね。
強さとは腕力や体力だけではないはずだが・・
人は強さを求めるが、その強さというのは何も、腕力や体力のことだけを言うのではないはずである。
何を当たり前のことを言っているのか、と思われるかもしれない。
金を稼ぐ力、経済力、あるいは容姿の良さ、ルックス(これはスネ夫が言ってたね)
他にも、人気者であるとか、知識の量があるとか、特殊な技術を持っているとか、
性格的なもの、誠実であるとか(意外と誠実さが今の時代ないがしろにされてるが、誠実さのパワーは偉大です)そういった諸々の諸要素を加味した、総合力こそが、強さなのだ。そういう意味で、一見しただけで人の強さは計り知れない。
それでも人は、気の弱い人間を軽んじるし、値踏みする。そして弱い人間は基本、女にもモテない。なぜか?
それは、それが生物として最もベースとなる部分であるからだ。
ムーラダーラチャクラはベースチャクラとも呼ばれる。ムーラダーラチャクラというのは前の記事でも書いたが、性腺を司る、つまり精子の生産拠点であり、男性ホルモンの生産拠点だ(女性なら卵子の、女性ホルモンの生産拠点)
基本、活力はここから生まれ出る。格闘家や武道家やスポーツ選手などは当然のことながら、男性ホルモンがバリバリ出ている。
当然、性欲も強いから女の子にも積極的に声をかける。(俺の場合は性欲を極限まで抑え込んでいるので、声をかけたくてもかけないようにしている、惚れられると面倒なことになるのでね)
それで普通は恋仲になり、結婚して子を持ち家庭を築くという凡人の王道パターンに入るのだが、今の時代はそれすらおいそれと叶わない。経済力がないからというのと、婚前性交渉が当たり前になり、セックスの価値が下がったからだ。インスタントな恋愛と安上がりなセックスが婚姻率低下の原因であるというのははっきりしている(でも誰も大きな声では言わない)
話が多少それたが、腕力、体力、気力といった、いわば原始人の時代から通用してきたベースの力は、今の時代もやはりベースとなるのだ。
そして弱い人間は、恐ろしいほどまでに、誰にも気を使われない。ないがしろにされる。これは俺が弱い人間だったから、非常によくわかる(今は多少強くなった)そしてまた恐ろしいほどまでに女にモテない。
どうして「気」の強さが必要なのか。余計なことをごちゃごちゃ言われないためである。強い人間は仕事をさぼってようが、寝てようが誰も何も言わないし、言えない。
逆に弱い人間は100%渾身の力をふりしぼって何かやってても文句を言われる。
これが現実だ。これは俺が30年位以上生きてきて身を持って体験してるし、俺だけじゃなく、他のやつも同様である。
強いやつに何か言っても、うるせえ!と一言恫喝されりゃ、もうそれで終わりである。
余計なものを寄せ付けない、相手にごちゃごちゃ言わせない、つまり自分の気、体力を温存できる。女は男以上に体力を温存させないといけない生物なので、強い男に惚れる(自分の体力気力を消費しなくていいから)。それで容姿もよければもはや惚れられない理由がない。
だから、男は強さが求められるのである。だが弱い人間も絶望することはない。
強くなればいいだけだ。そのために食べ物は徹底的に健康的なものにする必要がある。
弱いくせに酒やたばこをやったり、化学調味料や添加物まみれの加工食品を食ってる場合ではない。
判断の簡略化は極めて危ない
人間の脳は、常に高負荷がかけられているため、必ず楽をしようとする。
特に高度で複雑で煩雑化した現代社会においては、もう訳が分からないほど情報は
飛び交っているし、いかに人間の脳が高度なコンピュータと言えど、処理が追い付かない状態となっている。
そして、株やFXなどの金融市場における判断で、景気の動向など長期的な傾向を予想するファンダメンタルズ分析というのがあるが、はっきり言って素人がこんなものを予想しても無駄である。だいたい、ファンダなんてほとんど後付けで、実際はテクニカル分析のほうをメインにトレードするパターンが大半だ。
世の中には、ファンダ分析と自分では思っていて、実際はただ単に考えるのが面倒くさいから、そういうことにしておこう!っていう判断ともいえないような判断をして動く人間もいる、
たとえば、『原油は下がり続ける!だから基本売りだ!シェールガスなど代替エネルギーが台頭して、原油はオワコン化するから』とか、『ゴールドは上がり続ける!30年チャートを見れば基本、上がり続けているし、ゴールドは何にでも加工できて腐食もしないし埋蔵量も限られてるから!』とか、もはや、長期的判断というレベルではなく
思考停止である。逆の視方もいくらでもできて、『原油は埋蔵量が限られているし、近いうちに枯渇する!限られた資源だ、だから上がる!中東情勢もきな臭いし、戦争になったら原油は必ず必要だから上がる!』とか、『ゴールドは下がる!上がりすぎ!そもそも基本はインフレ対策用の備えであり、米ドルがこれ以上下がることはないから!』とか判断が面倒くさいから、それっぽい理由をつけてぶん投げてるだけなのだ。
株や為替などは【複雑系】と呼ばれる。様々な要因が複合的に絡んで、動きを予想するのが極めて難しいものを、そう呼ぶらしい。どうにか判断しようと色々と試みるが、たいていの人間は失敗する。当たらない占いや勘に頼るようなものだ。
人間の動きも【複雑系】と言えなくもないが、いきなり顔面をぶん殴ったら、基本的に怒るか、泣くか、驚くかで、間違っても喜ぶ人間はいないだろうなと予想できる。もちろんいないとは限らない、マゾだったり、あるいは顔面の骨格が歪んでて、殴られた拍子にそれが治ってイケメンになったりしたら逆に感謝されるかもしれないからだ。
でも普通はない。全部、我々は確率論で考えて行動している。考えてというよりも無意識レベルで判断している。で、前にも言ったと思うが、力が強い者と弱い者が対峙したしたとき、強いほうが少しでも威圧感を発すれば、弱いほうは瞬時にそれを感じ取る。
動物の本能だ。動物の世界では闘争か、逃走かを、瞬時に判断しないと生き残れないので、これは人間の時代になっても脳のかなり深い部分で判断している。基本、弱い者は強い者のご機嫌を損ねない様に気を使い続けるようになっている。強い者は気を使わない、使う必要がないからだ。強い者は余っている気を使わなくて、弱い者はもともと不足している気を、さらに強い者のために絞り出して使う。これが【人の性格】なのだ。
人は、一か所に何かを集めようとする性質があるのだ。金、女、権力、気力さえも。
今まさに貧富の差が拡大しているのがいい証拠である。逆に【人の性格】に対して【自然の性格】というのは、分散していく、まんべんなく広がっていくのだ。霧吹きをシュッとふけば、それは周りに拡散して広がっていく。鍋の水に、醤油を一滴たらせば、これも瞬時に広がっていく、このように人の性格と自然の性格は真反対の性質を持っているのである。人間が人間である限り、おそらく不老不死は達成できない。それは人間という存在がすでに自然から乖離した存在だからで、自然から乖離した存在は、自然の摂理に従わされるしかないのだ(つまり死ぬ)。自然そのものなら、自然の摂理をも操れるが(自分自身が自然の一部なので)そうでないなら、従わされる。自然より生まれ、自然から乖離し、死んでいくか、自然の一部となり未来永劫存在し続けるか。それは自らの自由意志で選ぶことができる。
死から最も遠い存在
死から最も遠い存在とは、赤ん坊であろうか。生まれたての赤ん坊は今まさにこの世に生を受けたのだから、死から最も遠い存在と言えようか?
しかし、生まれてすぐに死んでしまう赤ん坊もいる。病気で死ぬこともあるだろうし、親からの虐待、育児放棄、事故、自然災害、その他の要因で死んでしまうこともある。
生きる意欲に満ち溢れている人は死から最も遠い存在であろうか?
異性を好きになり、恋をして、仲良くなり、恋人同士になり、離れられない関係になり、セックスをして、結婚をして子を持ち(前後する場合もある)家庭を築く。
性欲は根源的欲求なので、まさに生きる意欲そのもの。
ただし残念ながら、全ての物事は陰陽一体、表裏一体、恋をしているとき、すでにあなたは死に近づきつつある。残酷なようだが、これは真実なので言わなければならない。
子供を作るということは、自分という個体の役割を半分終えたようなものなのだ。
別に子供を作らなくても、性行為をしただけでも死に近づく。もっと言えば、エロいことを考えてしまっただけでも多少、死に近づく。意識がそちらに向かってしまった時点でアウトなのだ。
性欲は抑えつつ、活力にはあふれかえっていなければならない。それもなるべく、文化的な活動であること。スポーツや運動ではなく、芸術や、創作、あとは地味な作業系とかが望ましい。
そして死について深く考え、一つの結論を自分の中で出し、しかしながら普段は死に意識を向けることなく、死にとらわれることなく、毎日、充実感を得ながら過ごす。
これが死から最も遠いライフスタイル、そして死から最も遠い存在となる。
俺の目指すところは、生にも死にも近づきすぎないこと。
男でもなければ女でもない。子供でもなければ大人でもない。論理的でもなければ感情的でもない。すべてが、中庸を保っていなければならない。
※以前、俺は記事の中で、美少女との恋愛が俺の生きる目的だと述べたが、これは望んでいつつ、今、叶えられてはいけない欲望なのだ。ぶらさげられたニンジンは食ってしまったら終わりなのである。
超能力を使う唯一の方法
超能力を使いたいと思うのであれば、超能力に対して否定的な動画や、超能力のインチキを暴くとか、科学的に理路整然と否定してある論文とか、そういうのは一切見ないほうがいい。それはあなたの可能性を永遠に奪ってしまうかもしれないからだ。
それと他人との関係にも気を付けることだ。超能力に対して真っ向から否定してくる人間と話さない、関わらないようにすること。それはあなたのエネルギーを奪う。
なぜかというと、超能力も、ありとあらゆる物理法則も現実世界も、全て自分自身が作り出しているからだ。
こんな話がある。ある田舎の村で、除霊やまじないで、かなりの効力を発揮していた、民間霊能力者のおばあさんがいた(地獄先生ぬ~べ~に似たような話があった)
地元じゃ有名だったので、その噂を聞きつけて、ある高僧が、そのおばあさんがどれほどのものかと訪ねてきたのだ。
そして、おばあさんに、いつものように除霊か祈祷か、やってる様子を見させてもらったところ、おばあさんはいつものように、『油桶(あぶらおけ)ソワカ!』と呪文を唱えたのだが、高僧は、「ばあさん・・アブラウンケンソワカ、なんだよ。いい加減な呪文を唱えると罰が当たるぞ」と言い放った。それで、おばあさんは、その高僧に間違いを指摘されて、アブラウンケンソワカに直したのだが、そうすると、一切、効果がなくなってしまったのだ。慌てて元の呪文に戻したのだが、それでも効果が戻ることは二度となかったということだ。
潜在意識のルートが一度、途切れてしまうと、もう戻らないらしい。
もし、おばあさんが、その高僧の言うことを、はん!あんたみたいな坊主なんかよりよっぽど私のほうがすごいわよ!と突っぱねてたら、こうはならなかった。
ただ、おばあさんは、立派なお坊さんの言うことだから・・と、相手が上で自分が下だと心の底から思ってしまったので、こうなった。
こうならないためにも、ブッダのように天上天下唯我独尊の精神でいなければならない。表向きは謙虚でいいが、心の中では、そう思っていなければならない。
ただ、表向きはあくまで謙虚な態度を装っているように。
で、超能力を使う唯一の方法はなんなんだよとツッコミが入りそうなので、回答すると
俺は超能力が使える!と思い込むこと。そういう設定にすること。それだけだ。
エネルギーの通り道を開く
仙道においては、小周天や大周天といった体全体の気の通り道を開くことで、燃え上がるような体力を身につけることができるようだが、俺の開発した特殊瞑想では、こんな程度のものではない。
そもそも忙しい現代人が、毎日毎日、いつ効果が出るかもわからない呼吸法を続けられるわけがない。ほぼ、不可能と言っていいだろう。
そこで俺は、仙道以外に以前からかじっていた西洋魔術の知識をふんだんに盛り込んで
究極の自己改造法を編み出した。
これは地味で苦しい仙道修業と違って、コツさえつかめば誰でも簡単にできる。
肉体を完全にリラックスさせ、左脳から右脳、右脳から松果体、松果体から先は、現実世界ではなく仮想世界へと繋がっているのだが、そこから先の世界へ、一本のエネルギーの回路が通ったとき、強大な力が流れ込んでくる。
催眠術などで、被験者は一時的に脳の神経細胞の回路に特殊なルートが形成される。
しかしこれはあくまで一時的なものだ。
自分でやる場合は、まず妄想レベルから入る。妄想は浅い神経細胞間のルートを形成する。次に、信念レベルに入ると、強い神経細胞間のルートが形成される。ここからは
DNAにも情報が伝達される。
DNAレベルで情報が伝達されると、体細胞の分裂時に、変化したDNAが作られることになる。人間の細胞は1日に数千億個が入れ替わるので、この時点で、変化前のDNAを持つ細胞体と変化後のDNAを持つ細胞体の混合された肉体を持つことになり、この間は、かなり不安定な状態となる。
さらに続けていくと、変化後のDNAを持った細胞体のほうが多くなり、全部入れ替わるころには、まさに完全に生まれ変わることになる。
そしてこのDNAに全ての情報が刻まれるのだが、超能力者の場合、物理法則も能力者のテリトリー内では能力者のルールに従う。
仮想世界からダイレクトに流れ込んだエネルギーは、もはや現実世界の既存のルール以前の力が働いているので、何でもありなのだ。
そもそも物質世界は、エネルギーのみ存在する仮想世界から飛び出し、分化したエネルギーが、様々な形態をとって存在しているに過ぎない。ならばその元々のエネルギーをそのまま取り込んだなら、いかなる事象をも引き起こすことが可能ではないか。
実際俺は、悪魔召喚の儀式や、類似の黒魔術などで、奇跡を起こしてきた実績がある。
これは妄想ではない。ただ、力には責任が伴う。下手すれば自らをも滅ぼしかねない。
よくよく考えて、自らに許可を出さねばならない。
世の中の9割の人間が、ただ自分を肯定しているだけ
正しいか正しくないかではなく、単純に自己否定はつらいから、自分を肯定する。
弱い人間は、弱い自分を肯定するために、貧乏な人間は貧乏な自分を肯定するために、
ブサイクな人間はブサイクな自分を肯定するために、それが正しいと主張する。
それは、変わることより変わらないことのほうが楽だからだし、過去を変えることはできないから過去の自分を否定するようなこともまたしない。
今自分がしていることは正しい。今自分がいるポジションは正しい。そしてそれを主張する。主張して、他人の同意を得て、やはり正しいのだと再確認する(本当は正しくなくてもだ)。
この、自分が正しいか正しくないかを、はっきり示してくれるのが相場の世界だ。
トレードで利益を出し続ける行動は正しい行動だし、損を出し続けるのは間違った行動だと嫌でも思い知らされる。残酷なまでに、その回答をくれる。言い訳が利かない。
格闘技の世界もそうだろうか、いや、そこには少しファジーな部分がある。
自分のコンディションが悪かったとか、審判が悪かったとか、あるいはラッキーパンチをたまたま食らっただけとか、言い訳できる部分が結構ある。
一切の言い訳が利かない世界は、金融市場、相場の世界じゃないかな。
資金力がないから・・仕事で疲れているから・・情報量が足りないから・・言い訳は確かにできるが、じゃあやらなきゃいいじゃん、で終了だ。あまりにもシンプル。
この世界にはインチキもクソもない。値動きが全てだからだ。だからこそ、必ず実力に収斂した結果が指し示されるのである。
俺はトレーダーとして今、結果をだせていない。だから負けてる自分は間違っているし、肯定できるわけもない。お金で幸せは買えないとか、人間の幸福度はお金じゃなくてうんたらかんたら、そういうのは全部、まず金持ちになってから言うべきだ。
貧乏人が言っても負け犬の遠吠えじゃないか。みじめな自分を肯定することで痛みを和らげしようとしているだけだ。
強いは弱いで、弱いは強い
人間と人間が対峙するとき、無意識レベルで、こいつと殴り合いで勝てるかどうかを判断している。
それは全て、言動に現れる。これも無意識レベルでだが、人に対する態度は、こういう態度にしようか、それともああいう態度にしようか、などと考えて決めているわけではなく、動物の本能レベルで一瞬で決めているのだ。
俺などは威圧感のある人間のそばへ行くと、それをビンビンに全身の細胞に感じる。
子供のころから、絵や漫画を描いたり、ピアノを弾いたり、そういう繊細さを持っていたので、相手の気の状態も感じやすい体質なのだ。
いつも相手の顔色をうかがい、びくびく、おどおどしながら生きていた。
そもそもなぜ俺は弱く生まれてきたのか。人にバカにされるためか?雑魚扱いされて笑われるためか?もっと強く生まれてくれば・・・結局、この世は力こそ全てじゃないかと。そして、一つの結論が導き出された。
『弱いということを知るために、弱く生まれてきた』
もし、最初から強く生まれていたら、弱いということはどういうことか知ることもなく
生きていくことになる。だから俺は弱いという状態はどういうことかを知るために、弱く生まれてきたのだ。自らの意志で。次元の壁を超える際に、それを忘れてきてしまっただけだ、本当は自分で選んで生まれてきたのだ。
弱い者が強くなったら、最初から強く生まれた人間より、さらにもっと強い。
なぜなら弱いという状態と強いという状態を2つ知っているからだ。
そして、相手に『従うこともできるし、従わないこともできる』という選択の自由を持つことができる。これが真の自由意志の獲得なのだ。
だから、最初から強く生まれてきた人間は、横暴にわがままにふるまっても許されてきたから、相手に従わないことが自由意志の選択によるものではなく、自動操縦的に反射的に入力された行動プログラムと化している。そういう意味では、最も正しい判断ができているとは言えない。
ヤクザとか、体のでかいごろつきとか、そういう連中に、俺はビビらされたくない。
ビビることもできるし、ビビらないこともできる、という選択の自由がないからだ。
ビビるのは、自動反応でビビるのだ。人間の世界も所詮は動物の世界の延長線上。
殴り合いで勝てるかどうかが、全てなんだ。
神になる方法
神とは何か。これは人それぞれ、定義やイメージは違うだろう。
神とは、この宇宙の創造者である、とか。
神とは、宇宙人である、とか。あるいは肉体を持たぬ意識体、精身体、知性体だとか。
神とは、単なる人間の妄想であるとか、あるいは観念、概念であるとか。
まあ、いろいろだ。
仙道やユダヤ密教カバラにおいては、自らが神となることを目的としているので、
神を外部的な存在とは考えない。自らに内在する、究極の根源的なエネルギーというべきか。古神道においては、万物全てに神性が宿るという概念なので、自分も他人も、動物も虫も植物も、岩も土も、人工物もすべてが神ということになるが、これだとあまりにざっくりしすぎて何が何だかわからない(間違ってはいないのだが)。
西洋的思想では、霊肉二元論といって、霊体と肉体は別々のものと考えられ、古代インドでもそのような思想であった。
本当かどうか知らないが、現存する魔術結社の高位密議参入者は肉体を捨て、霊体とならねば先の段階へ進めないとかなんとか言われている。
実際に、あるカルト宗教団体で、これを真に受けて教祖と信者もろとも集団自殺してしまった例などもあるのだから笑えない話だ。
仙道においては不老不死を目指す以上、肉体を捨てるという発想はない。
つまり老いることも死ぬことも自らに許可していない。死んだ後に天国に行って幸せになるだとか、生まれ変わって強くてニューゲームだとか、そういう都合のいい甘ったれた思考もまたない。それは単なる逃げであるからだ。
さて、タイトルの神になる方法だが、これは意識を保ったまま、エネルギーの流れを深い領域へとさかのぼる、という手順をとる。
まず肉体を完全にリラックスさせる。指先一つ動かせないほどに全身の力を抜かなければならない。
次に左脳の機能を停止させる。心をリラックスさせるというのは難しいのだが、これをやらなければ先に進めない。不安は、過去や未来に思いめぐらすことで発生するので、
リラックスして不安のない状態になれば、過去や未来を思う左脳の機能は抑えられる。
さらに、言葉、論理的思考といった左脳の司る機能を活動させないように、呼吸に意識を向けて、徐々に左脳を活動低下させ、停止させる。
この時点で、ちゃんと意識はある。人間のまま、動物になったようなものと思えばいい。あるいは生まれたての赤ん坊になったと言ってもいい。
さらに、右脳の機能をも停止させていく。音楽や映像イメージをも意識から除外する。
視覚、聴覚を捨て去ったものと考えてもらいたい。だが、意識ははっきりとある。
体、左脳、右脳と活動を停止させた。これでエネルギーは自由自在に、物質界とアストラル界を行き来できるようになった。松果体のゲートを通じて、意識はエネルギーを内包してアストラル界へ出入りができるようになった。
脳波がアルファ波以上だと、振幅幅の関係で、ゲートにぶつかってエネルギーが消滅してしまう。妄想が妄想のままで終わるのは、意識だけ仮想世界に行ってエネルギーは置いていってしまっているからだ。
妄想を現実化するためには、意識をはっきり保ったまま、脳波をシータ波以下にする必要がある。通常、シータ波以下では、意識はぼんやりとしていて、デルタ波ではもう完全に眠っている状態だ。通常、どんなに瞑想慣れした人でも、デルタ波以下に脳波を落として意識をはっきり保つのは難しいと言われている。
ただ、もしそれができたとしたら、おそらく妄想は即座に物質界(現実界)に反映されることとなる。それが神となったことを実感する瞬間であろう。
お勧めのエナジードリンクを見つけたぞ!
たまには日常的なネタでも投下しないとネタ切れになっちゃうからね、本日は最近見つけた、お勧めエナジードリンクを紹介するぞ。
かなりマイナーかもしれないが・・その名も
富永食品株式会社の『サバイバー!』
なにがどうお勧めなのかというと、これから一つずつ説明していく。
人工甘味料不使用であること
最近、人工甘味料が入ってるドリンクが多すぎやしませんか?昔はダイエット飲料とかカロリーゼロ~とか謳ってるドリンクにしか入ってなかったのに、今じゃ普通に、ダイエットとか関係なしに、普通の飲料に普通に入ってるのがなんかムカつくんですよ。
人工甘味料は体に悪いし、味もクソまずい。なんで使ってるのか意味が分からない。
人工甘味料業者の陰謀か?まあコスト安いから使ってんのか知らんけどさぁ・・・
今じゃ気軽に外で自販機で知らないジュース買うこともできやしない。
本当、油断できない世の中になったよね!
だから俺はモンスターとかデカビタとか一切飲まないんだけど、最近、リアルゴールドのペットボトルバージョンにもスクラロースが入ってて、うわ、どんどん浸食されてるなと、人工甘味料業者の包囲網がじわじわとメジャーな飲料をむしばんできて、すごい嫌なんですけど、だからこそ、マイナーな飲料に注目すべき時ですよ。
あ、人工甘味料の中でも、アスパルテームは最悪だから、絶対飲まないように。他にも
スクラロース、アセスルファムK、ネオテームなどいろいろあるけど、どれも健康に良くないので、避けたほうがいい。
味が無難にうまい
まあ、人工甘味料を使ってないので普通にうまいんですけどね、エナジードリンクの中には想像を絶するまずさのドリンクもあって、この前、間違って自販機で買ったキックスタートっていうエナジードリンクが極悪な味がしましたね、一口飲んで、即、トイレへ直行しましたよ。あれを全部飲み切る奴はすごいと思いますね。
で、話がそれたが、このサバイバー!はうまいっす。味はレッドブルに似たような感じです。変なクセもないし、普通にごくごく飲める炭酸飲料ですね。
安い!エナジードリンクの中ではコスパ最強です
これがでかいですよね。レッドブルだったら一番容量の少ない185mlでも200円以上するのに、これは250mlで100円っすよ。
成分も見たところ、レッドブルとほぼ同じようなもんですね。アルギニンやパントテン酸といった疲労回復成分はばっちり入ってるし、こっちはレッドブルには入ってないビタミンCと葉酸も入ってました。
そんなわけで、近所のスーパーや自販機で、もし見かけたら絶対に買いですね。
俺はこれを30本入り1ケース買ったんですけどね、気に入ったんで毎月買います。
サバイバー エナジードリンク 缶 250ml ×30本 [ カフェイン48mg アルギニン130mg ビタミンB群配合 合成甘味料不使用 国内製造 ]
不老不死の伝説に出てくる人々の共通点
不老不死を目指すなら、当然のことながら、不老不死の伝説を古今東西くまなく調べあげる必要がある。俺も当然、この辺は調べてある。
そしてわかったことは、不老不死伝説に出てくる不老不死者あるいは、そこまでいかずとも一般人よりもはるかに長く生きた人々には、やはり多くの共通点があった。
肉を食わない(ビーガンかベジタリアンである)
肉は抗酸化食品ではないので、食っても特にメリットはないので当たり前なのだが、
いまだに肉食ってガッツ出せとかなんとか言ってくる「常識人」がいて非常にうざい。
基本的に常識人とは一切俺と会話がかみ合わない。なのでこちらとしては無視するしかないので、必然的に孤独になる。これはもう仕方がないことだと思う。
ベンジャミン・フルフォードというイルミナティのエージェントがいるのだが、彼の
著書には、「米や野菜は奴隷の食べ物、米や野菜を食って力が付くわけがない、奴隷に力をつけさせては反乱を起こされるからね、僕ら西洋人は毎日、肉食ってるから逞しい体をしている、日本人ももっと肉を食ったほうがいい、もう主食代わりに肉食ったほうがいいね」などとのたまっているので、逆に絶対に肉を食わないほうがいいということがおわかりいただけるだろう(フリーメイソン、イルミナティの人間は肉を食わない)
禁欲的である
そして、基本的に禁欲的である。仙道には房中術というセックスによって女性の気を吸い取る術があるが、これにしたって、小周天が完成していない段階では、気を吸い取るどころか逆に気がダダ洩れになってしまう。しかも房中術は習得するのがかなり難しいらしく独学ではまず習得するのは不可能らしい。しかし、今現在、房中術を教えてくれる人間などたぶんどこを探しても見つからないだろう(いても教えてくれるか疑問)
つまり、これはもう性欲を抑えるしかない。性欲を消し去るわけではない。あくまでも
興奮することもできるし、しないこともできる、という選択の自由を得るということ。
体を適度に動かす
怠惰に生きてはいけない。一度、怠惰にはまると抜け出すのが難しくなる。
かといってあまり激しい運動をするのもダメだ。活性酸素が大量に発生して老化を促進させてしまうからだ。仙道体操や太極拳のような、おじいちゃんでもやれるような、ゆっくりとした全身運動が一番いい。
秘術を体得している
仙道でもクンダリニーでもチベット密教でもカバラでも古神道でもなんでもいいが、
なんらかの秘術を体得する必要がある。これはおそらく絶対条件だろう。
秘術の体得無くしては、せいぜい200~300年程度しか生きられない。しかも不老でもなく、単なる長生きだ。そもそも、じじいになった時点で俺の場合は生きる気力がなくなると思うし(それは美少女との恋愛が俺の目指すところだからである)ただ無駄に生きながらえたところで何の意味もない。
めちゃくちゃ博識である
およそ知らんことは何もないのではないかというほど博識である。知識欲、知的好奇心のない人間じゃ、まず不老不死など不可能であろう。
性格が穏やかである
別に人格者である必要はないし、仙道的には、自由気ままに縛られない生き方のほうがいいので、性格が穏やかであるべき!と型にはめて言うつもりは毛頭ないのだが
どうも、これは共通する点らしい。必然的にそうなってしまうのかもしれない。
死とは何かという問いに自分なりの答えを出している
死について深く考え、そして他人の受け売りではなく、あくまで自分自身の頭で考えだして、自分なりの答えを見つけ出さなくてはいけない。自分の頭で考え、そして初めて腑に落ちるのだ。本当に腑に落ちるのは、あくまで自分自身の頭で考えて出した結論であるからだ。そしてこれは人に言わずに、自分の胸の内にしまっておくほうがいい。
生きる気力に満ち溢れている
そして当然のことながら、常に生きる気力に満ち溢れている。向上心があり、人として成長し続けている。探求心を常に持ち続けている。
以上、過去記事と重複するが、ざっとおさらいというか、まとめてみた。
生命の樹の謎を解け
生命の樹とは、旧約聖書においてはエデンの園の中央に植えられたとされる伝説の樹。
その実を食べれば神のごとく永遠の命を手に入れることができるという。
ユダヤ密教カバラにおいては、セフィロトの樹とも言われ、かなり複雑怪奇な思想体系として様々な解釈が成される。
ちなみにアダムとイブが知恵の実を食べてエデンの園から追い出されたという逸話は、あまりにメジャーなのに対して、この生命の樹については、あまり語られることがないのは、それが「重要」だからである。
ちなみに生命の樹は、天から地に向かって逆さまに生えている絵がよく散見される。
果たしてこれは何を意味しているのか。「善悪知る樹」と「生命の樹」は対になる思想なのだろうなということは何となく想像がつくと思う。
さて、仙道や気功の修行者なら、「識神」と「元神」という言葉を知っていると思う。
「識神」とは知識や経験といった後天的に身につく思考や性質、顕在意識などを指し
「元神」とは人が生まれながらに持っている感覚、自律神経の働き、潜在意識などを指しているのだが、おそらくこれが、それぞれ「善悪知る樹」と「生命の樹」に対応していると思われる。
気功の本には、瞑想によって、「識神」を追い出し、「元神」に意識の座を明け渡せと書いてある。
仙道の究極目的は、不老不死になり、最後は虚空へと消え大自然、宇宙と一体化するという壮大なものだが、その手前で「子供の体に戻る」というのがある。
あの有名な魔術師サンジェルマン伯爵でさえ、「老化を止めることはできても若返るのはちと難しい」と言ったほどなので、仙道は、西洋魔術をも超える魅力があるのだ。
一応、西洋魔術やカバラの本にも、「中央の柱」という行法があって、これが小周天の代わりみたいな感じで載っているのだが、いかんせん、イメージだけでやる行法なので実感が伴いにくい。呼吸法にしても、「ボックス呼吸法」があまりにも、普通の呼吸法すぎて、続けるモチベーションが保てないのである。
さらに、細胞生物学の用語に「エピジェネティクス」というのがある。これはDNAは
環境や思考の影響を受けて変化する、ということを言っていて、ようやく科学とオカルトの接点らしきものが俺の中で見えてきた。
仙道の「錬精化気」とは、精を練って気に変えるということ、精とは精液のことだけではなく、精力のこともさしているので、とにかく元気な状態を言っている。
そしてこの精を気に変えるのだから、セックスやオナニーをしてはいけないのは明白であろう。これから気に変えようというのに、体外に出している場合ではない。
外に飛び出そうとしているものを、内側に引き戻す、それが仙道の「錬精化気」だ。
実は、アダムとイブが知恵の実を食べた、という表現は、実はセックスをしたという
意味だと解釈する人もいる。セックスをしたら永遠の命は手に入らない、ということ。
実際、気功用語でも、性生活の経験者を「漏体」と呼ぶのだが、「漏体」というのは
「元精」が漏れ出した人間のことを言っており、生命エネルギーの根源が漏れてしまっていることを言っているのだ。
なので非童貞は、童貞に比べて気がたまりにくい。ただ精力が有り余っている人なら
問題ないだろう。ただ普通の人や、精力の弱い人は、かなりマイナスからのスタートとなってしまう。なので童貞は恥ずかしいから、風俗や出会い系の行きずりの女でさっさと済ませてしまおうなんてのは、仙道的にはナンセンスとしか言いようがない。
この世界のOSは仮想世界にある
まず、人間の脳の仕組みを理解しないといけないのだが、右脳と左脳のどちらが
新しい器官なのか、おわかりだろうか。
たとえば、昔の同僚や知り合いの、顔は思い出せるんだけど名前が出こてない、ということや、好きだった歌のメロディーは思い出せるけど歌詞は思い出せない、なんてことがよくあるだろう。しかし、この逆はほとんどないと思う。
要するに、映像やイメージ、あるいはメロディー、の記憶は、右脳が司る領域で、
言葉は左脳が司る領域、左脳のほうが新しく追加された機能を持っているので、あまり
記憶に残らず、右脳のほうは古い、歴史のある脳の機能を持っているので、より強く記憶に残っている、ということなのだ。
組織というものは、より高度に発達することで、その機能を外部化、細分化していく傾向にある。これは会社組織などを見てもわかるだろう、最初は社長兼経営者が全ての業務をやっていたが、規模が大きくなるにつれて、役割を外部化、細分化していき、効率化を図るということになる(~支店、~部、~課など)。
左脳は、人間になって新しく付加された新機能が詰まっている。イメージや感覚に言葉を引っ付けることによって、より繊細なイメージや感覚をカテゴライズすることができるようになったのだ。
話を元に戻そう。左脳と右脳、左脳は新しいソフトを詰め込んだコンピュータだ。
そして地球人類は、まだこの脳の使い方に全く持って慣れていない。試作段階と言っていいのかもしれない。その証拠にかなりのバグがある。
たとえば、何か考え事をしながら飯を食っていると、口の中を噛んだりのどに詰まらせたりするし、考え事をしながら料理して火傷したり、指を切ったり、と明らかにはこれはバグではないかと思えるほど、考えることを優先するのだ。失敗するのがわかりきっているのに、考え事をしながら何かをするのをやめられない。時には命にかかわることすらあるというのにだ。
つまり元々、我々はマルチタスク に脳を使用しようとしてもパフォーマンスが低下するばっかりで非効率的なのにも関わらず、それをやってしまうのだ。
そこでまず、ベースとなる部分を強化しなければならない。瞑想は脳のデフラグと言う人もいるが、要は神経細胞ネットワークの強化だ。電気信号が新しい脳のほうにばかり行って、古いほうが血行不良ならぬ電行不良になっているので、それを古いほうに集めるということだ。
家を建てるにしても、地盤がしっかりして、基礎がしっかりしてないと、危なくて仕方がないのと同じで、脳もそれと同じベースとなる部分をまず整えないといけない。
そしてここからがミソなのだが、脳のベースとなる部分の、さらにベースとなる部分があって、これは現実世界には存在しない。仮想世界に存在するのだ。
前の記事でも書いたが、アストラル界、あるいは潜象界、集合的無意識の世界と言ってもいい。もともと、ミクロの仮想世界から飛び出したエネルギーが、マクロの物質世界で形を成し、この世界が存在しているのだ。
たとえば、絵を描くときなども、まず頭の中にイメージがあって、それを紙にペンで書きだす。イメージの世界から物質として姿を顕現したものが絵であるというわけだ。
元々の世界、すなわちイメージの世界にアクセスすることで、物質の挙動を決める物理法則すら変えることが可能となる。それが、いわゆる超能力というやつだ。
もちろん超能力以外にも、自己実現や、才能の開花など、ありとあらゆることが可能となる。
脳は単なる端末に過ぎない
脳みそをくまなく調べてみても、どこにも魂のありかは見つけられない。
だが、デカルトはそのヒントを見つけた。そう、松果体がどうやら怪しいらしい、と。
スピリチュアルに詳しくない人、全く興味のない人、にとっては、松果体は、ただの
光を感知する器官、メラトニンを分泌する器官、であり、爬虫類の時代の額に存在した目の名残であるという説明がなされる。
これが第3の目と言われる所以なのか、しかし、爬虫類時代の名残が、退化して内側にメリメリと潜り込んで、脳の中心部に鎮座してますというのを、はいそうですかと受け入れられるほど俺は思考停止していない。
つまり、これは単なる目ではない。目に見えないものを見るための、目なのだ。
科学者たちの言うことを、「なるほどなるほど頭のいい学者さんの言うことはためになるなあ」と聞いているだけではいけない。自分の頭で考えろということだ。
で、俺が思うに、脳というのは単なる端末に過ぎなくて、ホストサーバー本体については、この物質界に存在しない。そして松果体は、この脳という端末と、こちら側の世界には存在しないホストサーバーとをつなぐゲートの役割を果たしているのだ。
ホストサーバーはどこにあるのか・・それはアストラル界だ。
またスピ的な言葉が出てきてしまったが、時代や場所によって、この呼び方はそれぞれ異なる。名称など何でもいいが、要するに、現象のもともとを引き起こす世界、と言えばいいだろうか。
超能力者や魔術師が、物理法則を無視した現象を引き起こすのも、彼らがもともとのプログラム自体にアクセスしたりいじったりできるからだ。
物理法則は単なるプログラムなので、そのプログラム自体を変えてやれば、映画「マトリックス」のように、どのような現象をも引き起こせる。
では、超能力者や魔術師はプログラマーなのか?というと、これもちょっと違う。
彼らのほとんどは、そのプログラムを理解してない。まったく一般人と同じである。
なので彼らに、なぜそのようなことができるのか、その理由を説明しろと問い詰めても
本人らもわかってないので説明のしようがないのだ。
我々も、体温の調整の方法、心臓を動かす方法、呼吸の方法を、説明しろと言われても
説明できない(勉強して知識がある人は説明できるが)けど、ちゃんとできている。
超能力者の場合、先天的に、そういう脳の神経回路ができている状態で、生まれてきたというだけのことで、たぶんバグみたいなもんだと思う。正常な製品ではなく、ある意味で欠陥品、障がい者なのかもしれない(こういうと多方面から怒られそうだ・・)
瞑想によって、否定も肯定もないニュートラルな脳の状態にすることで、松果体を通じてアストラル界とリンクすることができる。
まずは、自分の脳から日本語入力ソフトをアンインストールすることだ。無我の境地というと、なんか妙に崇高なイメージだけが先行して、なんかよくからんがすごい状態、すごい修業を積まないと到達できない状態、のように思われそうなので、俺はこの、
無我の境地という言葉をあまり使いたくない。そもそも無我ではない、無我の状態なんて存在しない。それを、さもあるかのように錯覚させるから訳が分からなくなる。
単に日本語入力ソフトを脳からアンインストールして、負荷を軽くするだけのことだ。
何か一つ言葉が心に浮かぶだけで、ニューロンは発火する。しかもその言葉一つが、また別の言葉への連想を引き起こし、あっという間に広範囲に延焼するのだ。
脳内を飛び交ってる電気信号、電気は松果体に集約せよ。さすればアストラル界への扉は開かれよう。