脳は単なる端末に過ぎない
脳みそをくまなく調べてみても、どこにも魂のありかは見つけられない。
だが、デカルトはそのヒントを見つけた。そう、松果体がどうやら怪しいらしい、と。
スピリチュアルに詳しくない人、全く興味のない人、にとっては、松果体は、ただの
光を感知する器官、メラトニンを分泌する器官、であり、爬虫類の時代の額に存在した目の名残であるという説明がなされる。
これが第3の目と言われる所以なのか、しかし、爬虫類時代の名残が、退化して内側にメリメリと潜り込んで、脳の中心部に鎮座してますというのを、はいそうですかと受け入れられるほど俺は思考停止していない。
つまり、これは単なる目ではない。目に見えないものを見るための、目なのだ。
科学者たちの言うことを、「なるほどなるほど頭のいい学者さんの言うことはためになるなあ」と聞いているだけではいけない。自分の頭で考えろということだ。
で、俺が思うに、脳というのは単なる端末に過ぎなくて、ホストサーバー本体については、この物質界に存在しない。そして松果体は、この脳という端末と、こちら側の世界には存在しないホストサーバーとをつなぐゲートの役割を果たしているのだ。
ホストサーバーはどこにあるのか・・それはアストラル界だ。
またスピ的な言葉が出てきてしまったが、時代や場所によって、この呼び方はそれぞれ異なる。名称など何でもいいが、要するに、現象のもともとを引き起こす世界、と言えばいいだろうか。
超能力者や魔術師が、物理法則を無視した現象を引き起こすのも、彼らがもともとのプログラム自体にアクセスしたりいじったりできるからだ。
物理法則は単なるプログラムなので、そのプログラム自体を変えてやれば、映画「マトリックス」のように、どのような現象をも引き起こせる。
では、超能力者や魔術師はプログラマーなのか?というと、これもちょっと違う。
彼らのほとんどは、そのプログラムを理解してない。まったく一般人と同じである。
なので彼らに、なぜそのようなことができるのか、その理由を説明しろと問い詰めても
本人らもわかってないので説明のしようがないのだ。
我々も、体温の調整の方法、心臓を動かす方法、呼吸の方法を、説明しろと言われても
説明できない(勉強して知識がある人は説明できるが)けど、ちゃんとできている。
超能力者の場合、先天的に、そういう脳の神経回路ができている状態で、生まれてきたというだけのことで、たぶんバグみたいなもんだと思う。正常な製品ではなく、ある意味で欠陥品、障がい者なのかもしれない(こういうと多方面から怒られそうだ・・)
瞑想によって、否定も肯定もないニュートラルな脳の状態にすることで、松果体を通じてアストラル界とリンクすることができる。
まずは、自分の脳から日本語入力ソフトをアンインストールすることだ。無我の境地というと、なんか妙に崇高なイメージだけが先行して、なんかよくからんがすごい状態、すごい修業を積まないと到達できない状態、のように思われそうなので、俺はこの、
無我の境地という言葉をあまり使いたくない。そもそも無我ではない、無我の状態なんて存在しない。それを、さもあるかのように錯覚させるから訳が分からなくなる。
単に日本語入力ソフトを脳からアンインストールして、負荷を軽くするだけのことだ。
何か一つ言葉が心に浮かぶだけで、ニューロンは発火する。しかもその言葉一つが、また別の言葉への連想を引き起こし、あっという間に広範囲に延焼するのだ。
脳内を飛び交ってる電気信号、電気は松果体に集約せよ。さすればアストラル界への扉は開かれよう。