超健康体を目指す仙道修行者のブログ

超健康体を目指すため、ありとあらゆる手を尽くし、最終的に不老不死の仙人を目指す!

強いは弱いで、弱いは強い

人間と人間が対峙するとき、無意識レベルで、こいつと殴り合いで勝てるかどうかを判断している。

それは全て、言動に現れる。これも無意識レベルでだが、人に対する態度は、こういう態度にしようか、それともああいう態度にしようか、などと考えて決めているわけではなく、動物の本能レベルで一瞬で決めているのだ。

俺などは威圧感のある人間のそばへ行くと、それをビンビンに全身の細胞に感じる。

子供のころから、絵や漫画を描いたり、ピアノを弾いたり、そういう繊細さを持っていたので、相手の気の状態も感じやすい体質なのだ。

いつも相手の顔色をうかがい、びくびく、おどおどしながら生きていた。

そもそもなぜ俺は弱く生まれてきたのか。人にバカにされるためか?雑魚扱いされて笑われるためか?もっと強く生まれてくれば・・・結局、この世は力こそ全てじゃないかと。そして、一つの結論が導き出された。

『弱いということを知るために、弱く生まれてきた』

もし、最初から強く生まれていたら、弱いということはどういうことか知ることもなく

生きていくことになる。だから俺は弱いという状態はどういうことかを知るために、弱く生まれてきたのだ。自らの意志で。次元の壁を超える際に、それを忘れてきてしまっただけだ、本当は自分で選んで生まれてきたのだ。

弱い者が強くなったら、最初から強く生まれた人間より、さらにもっと強い。

なぜなら弱いという状態と強いという状態を2つ知っているからだ。

そして、相手に『従うこともできるし、従わないこともできる』という選択の自由を持つことができる。これが真の自由意志の獲得なのだ。

だから、最初から強く生まれてきた人間は、横暴にわがままにふるまっても許されてきたから、相手に従わないことが自由意志の選択によるものではなく、自動操縦的に反射的に入力された行動プログラムと化している。そういう意味では、最も正しい判断ができているとは言えない。

ヤクザとか、体のでかいごろつきとか、そういう連中に、俺はビビらされたくない。

ビビることもできるし、ビビらないこともできる、という選択の自由がないからだ。

ビビるのは、自動反応でビビるのだ。人間の世界も所詮は動物の世界の延長線上。

殴り合いで勝てるかどうかが、全てなんだ。