超健康体を目指す仙道修行者のブログ

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悪いと知っていて悪いことをするほうがいい

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何に対して罪悪感を感じるかは、人それぞれだ。何に対して恥を感じるかも人それぞれだ。だが、ひとつ言っておきたいのは、悪いと自分でわかっていてそれをやるほうが、

悪いと知らないで(本当に心からわかってない)やることよりも、いい、ということ。

世間一般の解釈じゃ、悪いとわかってて悪いことをやる奴は「確信犯」(これも本来の意味とは違うんだが・・)と言って、悪いと知らないで悪いことをやる奴より、より悪い、ということになっているが、実はそうではない。

悪いと知っていて悪いことをやる場合は、必ず自分でどこかブレーキがかかってしまうのに対して、悪いと知らずに悪いことをやる場合は、ブレーキは一切かからない。

悪いと知っていて悪いことをやるのは、そうせざるを得ない、と自分に言い訳している段階、つまり「本来自分の力がタスクを実行するに足るエネルギーを保持していれば成しえたこと」が成せないからやむを得ず、悪いことをした。という、「理想的な自分」が自分でわかっている、つまり自分がこうあるべきという目的地自体ははっきりしてるってことなのだ。だから今の段階では、きれいごとでも理想論でもよくて、それが実行できていなくても、よしとするのだ。

たとえば、俺の場合「健康に悪いものを食べてしまった・・」とか、「エロサイトを見てしまった・・」とか「1日、怠惰に過ごしてしまった・・」とか、そういったことに罪悪感を感じてしまう。人によっては、その程度で罪悪感を感じるのかと思われるかもしれないレベルだ。これは別にカルマがどうのとかっていう精神的な話じゃないんだけど、進化と退化で言えば、おそらく退化のほうに傾いてるなと、成長と老化で言えば「成長のエリア」から「老化のエリア」に足を踏み入れたな、ということに対する危機感だ。

人はなぜ生きるのか、人が生きる理由については、人それぞれがおのおの答えを見つけ出してくれればいいし、そんなものは人によって違うから、何を生きる理由にしてもいい。

ただ、人はなぜ死ぬのか、については、誰も明確な答えが出せないうえに、あまり議論の対象にもならない。一般人があまり死について深く考えないのは、考えたくないからなのか、考えても仕方のないことと諦めてるのか、どちらかわからないが、俺はこの問いには、「成長が終わり老化する過程において、成長のエリアから老化のエリアに入ったとき、もうすでに死のゾーンに入っている」と考える。そしてこの成長と老化の特異点となる部分は肉体と精神の機能がピークを迎えた点なのだから、ピークが常に現在という時間軸より未来にあるならば、その人間は生のゾーンにいることになる。つまり究極的には年齢は関係ないのだ。という一つの答えを俺は出している。

で、ちょっと本題からそれてしまったが、悪いと知っていて悪いことをするほうがいいというのは、仏教経典の一部「ミリンダ王の問い」という本にも載っていて、さすがに仏教は真理の一部をわかっているなと感じた。最も俺はこの本を読む前から自分でわかっていたので、答えが被っただけで、自分で導き出した答えなのは言うまでもない。他人の受け売りなんてあまり意味のないことだが、自分の頭で考え導き出した答えは本当に腑に落ちるのだ。


ミリンダ王の問い―インドとギリシアの対決 (1) (東洋文庫 (7))