なぜ老化、劣化することに対して危機感がないのか
確実に徐々に死につつあるのに、多くの人間は、それに対してあまり危機感を持っていないように感じられる。
死に対する抵抗がなくなっているのに、本人は気付いていないのだ。
生きる行動と死ぬ行動、そのどちらを多く行っているかで、生に近づくか死に近づくか決まる。単純な足し算引き算だ。
性欲の強い人間は生きる意欲も強い・・と一般的には解釈される。確かに、今を生きる力は強いだろう。着眼点を今という時間軸に限定すればの話だ。
だが、勢いよく燃えるローソクの炎はあっという間に燃え尽きる。
星も勢いよく燃える星は、あっという間に燃え尽きる。
つまり長生きできない。ということだ。残酷な話ではあるが。
体力がある、性欲が強い、攻撃的、積極的・・男性ホルモンの影響でこういう性格になるんだが、いかにもオスっていう感じの男は長生きできない。
格闘家やスポーツ選手が、思いのほか早死にするのは、そういう自然の摂理なのだ。
全ての物事は表裏一体、陰陽一体・・つまり生に近づきすぎれば死に近づくこととなり
死に近づきすぎれば生に近づくこととなる。
生に近づきすぎる、これはまあセックスしているときとかですかね。
死に近づきすぎる、これはまあ鬱病になって自殺を考えているときですかね。
鬱病になってるときは男性ホルモンの値が恐ろしく低く、活動欲もないので
食欲も性欲もほぼないです。で、空腹状態が長く続くとサーチュイン遺伝子が活性化して若返り効果があります。あと活動しないので余計なエネルギーを消耗しません。
死に近づいているはずなのに長期的には生かす方向にも近づいているのです。
さて、肉体の老化、容姿の劣化を招くとわかっているのに、なぜかそれに無頓着なのは理由があります。それは、多くの人に「やりたいことがないから」
やりたいことがないから生きる必要もないのです。だから死に引っ張られる。
いや、やりたいことあるぞ!女とやりたい。とか、そういうのじゃなくて、ですね
個人としてやりたいことです。そうすると今度は、ゲームをしたい、旅行をしたい、というのが出てくる。またこれも受動的な欲求ですね。
映画を見たいという人は多いが、逆に映画を作りたい、という人はほとんどいない。
ゲームをしたいという人は多いが、逆にゲームを作りたい、という人もそれほどいない。わかりますか。創作することには、かなりのエネルギーがいるのです。
エネルギー消費量に対し、見返りが少ない、コスパが悪い、わけですよ。
だから安易な快楽を求める。その究極がセックスとドラッグだと俺は前に言った。
その快楽と引き換えに死に近づくとしても、脳は気持ちいいことを止められない。
あと、老化、劣化しても、それほど不便がない、っていうのもある。
女の子はイケメンがいいとかなんとか言ってるが、街出りゃカップルのほとんどがブサメンの彼氏を連れて歩いてる。つまり女も言うほど、容姿にそれほどのレベルを求めてないのだ。求められてない要素を維持する必要がない。だから無頓着なのだ。
だからこれはもう、ナルシストになるしかない。女の子が求める求めない関係ないって感じで、とにかく老けて醜くなるのは嫌だなと、そう強く思う。これは自己の中で完結してる欲求だから、周りは関係ない。モテようとモテまいと、周りの評価、一切関係ない、極端な話、無人島に一人で暮らしてても、老けて醜くなるのは嫌だなと、強く思っていなければいけない。