超健康体を目指す仙道修行者のブログ

超健康体を目指すため、ありとあらゆる手を尽くし、最終的に不老不死の仙人を目指す!

死に対するリアリティが高まるとき

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毎日、鏡で自分の顔を見ていると思うが、客観的に、自分の容姿が「老けたな」「劣化したな」と感じることがあるだろうか。もし、ないのなら問題ない。

でももし、客観的にそれを感じているなら、死に対するリアリティが高まっているはずだ。

俺の場合、主観的にも客観的にも、自分の容姿の老化、劣化を感じないので、今のところは、死に対するリアリティが高まらない。むしろ不老不死に対するリアリティが高い。

俺は、仕事で接客業をやってるが、たとえば子供や親御さんから「おじさん」と呼ばれたら、かなり死に対するリアリティが高まるだろう。それは客観的な評価だからだ。

あとは、女の子から恋愛対象として見られなくなったときも、死に対するリアリティが高まる。

あとは無気力な状態、虚無感に包まれた状態にいるときも死に対するリアリティが高まる。

今、日本は少子高齢化、人口減少社会にある。つまり日本というでかい生き物が死につつあるというわけで、でかい母体が死につつあるのだから、個人の生きる気力も当然、削がれていくのは道理だ。今、日本を擬人化するなら、漫画ヘタリアみたいな二十歳くらいの青年ではなく、死にかけたジジイとして描くべきであろう。

日本が死につつある、もし完全に死んだら我々個人はどうなるか。我々は日本という多細胞生物の、一つの細胞みたいなもんだ。実際、我々個人も、多細胞生物で、生物学者に言わせると、「細胞国家」と言うらしい。

心臓や脳が停止して、個体が死んでも、体細胞は、しばらくは生きて活動を続ける。

それでもやがて追随して、全細胞が生命活動を停止して地上から消え去る。

日本が死につつある、今の状況で、政治に無関心でいることは、自殺行為に等しい。

国が、でかい家族、家だと思ってほしい。政治家は国家運営に携わっているのだから、言ってみれば親みたいなもの。そして我らは、その子供だ。

親がまともに働いて、飯を食わせて、教育をしてくれる、そんなまともな家庭なら別に

政治に無関心でもいい。

だが、親がアル中で酒乱だとか、あるいはパチンカスで、借金まみれだとか、それどころか子供に保険金かけて殺そうとしてたらどうだ?とても安穏と生きてはいられまい。

だが、今そういう状況なのだ、日本は。だから我々も自分でちゃんと考えなければ生き残れない。人任せにしていてはダメだ。

なんでいきなり政治の話になったのか、と思う人もいるだろうが、俺は不老不死を目指しているのだから、日本というでかい生き物が殺されたら、俺も殺されるわけだ。それなのに多くの国民は、今日本がどういう状況に置かれてるか理解すらしてない。理解してないのだから当然、対策なんてできるわけがない。俺は見た目が若いから、二十歳前後の若造と同じように、アニメ、漫画、ゲームにはまってるふりをしないと、周りから見て違和感を感じさせてしまうが、もうとっくにそんなものは飽きてしまっているのだ(自分で漫画は描くがな)。