超健康体を目指す仙道修行者のブログ

超健康体を目指すため、ありとあらゆる手を尽くし、最終的に不老不死の仙人を目指す!

経済的自由が手に入らない限り虚無感から逃れる術はない

一昔前であれば、普通に学校を卒業して、普通に企業か、公務員などに就職して、普通に働いていれば、普通に恋人ができて、普通に結婚して、それなりに休日を楽しみ、子を持ち家庭を築く、ということができたかもしれない。

だが、今は違う。金持ちになる、経済的自由を得る、ということは、もはや必須としか言いようがない。今までは、それはプラスアルファのオプションとして存在していた、贅沢品という扱いで、まあ、あればいいけど、別になきゃないで、それなりに楽しめるという感じだった。

だが今は、所得の区分で、中間層はすでに消滅した。もう上辺と底辺しか存在しないのだ。仕事に、時間もエネルギーも何もかも奪われる。そう、奪われるのだ。

仕事をして得られるのは、そのくだらない生活を送るための、ギリギリの金と、わずかな休息時間だけである。

イケメンになろうと、女にもてようと、彼女が出来ようと、全て無意味になるのだ。

経済的自由が手に入らない限りは、奴隷としての一生を全うする以外にないのだから。

つまり、金持ちになれたらいいな、ではなくて、絶対に金持ちにならなくてはいけないという決意、金持ちになるためにあらゆる努力をするという誓い、それが必要となる。

それが、甘っちょろいことを言って、別に金が全てじゃないとか、金持ちにならんくてもそれなりの幸せが手に入るとか、ぐだぐだ言ってると、行きつく先は地獄しかない。

言っておくが俺に物欲は、ほとんどない。欲しいのは、自由な時間とエネルギーだけである。ガラクタを買うために金が欲しいわけじゃない(世の中のほとんどのものはガラクタしかない)ガラクタが溢れすぎて、ガラクタを作る人間、ガラクタを売る人間、ガラクタを買う人間の三すくみで、この世の中はできている。この負のトライアングルが普通に自由に生きたい人間の領域をも脅かしている。

高級時計、高級車、高級料理、豪邸・・すべてガラクタにしか見えない。

それを作るのに、多大な時間と労力がかかりました、貴重な希少価値のあるもので作りましたという、「物語」に金を払っているのだ。

俺は金でものが欲しいわけじゃない。実をいうと漫画を描きたい、動画制作もしたい、仙道の修行もしたい、でもそんな思いが雲散霧消してしまうぐらい、今、生存権さえ脅かされている状況なんですよ。働かないと死ぬ、働いても死ぬ。いずれにしても死ぬ。

そんな状況で、趣味?恋愛?そんなことほざいていられる状況ですかと。